パンフレット
都立第五福竜丸展示館(江東区)
水爆ブラボーは1954年3月1日午前6時45分に炸裂しました(日本時間午前3時45分)。立ち昇るキノコ雲は高さ3万4000メートル、直径200キロに達したと米軍の記録にあります。
爆発威力は広島原爆の1000倍(15メガトン、TNT高性能火薬1500万トン相当)で、環礁の内海、浅瀬のサンゴが粉々に砕かれキノコ雲に吸い上げられて強い放射能をおびて、灰のようになり広い海域に降り注いだのです。のちに「死の灰」とよばれた放射性降下物でした。
アメリカとソビエト(旧ソ連)の対立(東西冷戦)は、核兵器の開発競争を激化させ、実際に戦争で使える水爆の実用化をすすめていました。水爆炸裂の死の灰は高層に吹き上がり、気流にのり地球上を周回したのです。